2009年11月30日
フルマラソン参加の意義。【走る社長.com】
2009年1月10日より始まった、第1章「人生初フルマラソン挑戦への道」が昨日で完結。
累計走破距離1,000kmに及んだトレーニングの日々、そして、想像を絶するほどの苦しみを味わった本番を、こうして無事に乗り越えた後に芽生えた今の正直な気持ちは、「また走りたい!」である。
間違いなくフルマラソンを実際に走った者にしか分かり得ない、42.195kmという長い長い道のりの中で繰り広げられる“自分との死闘”。その末には、「また走りたい!」という気持ちになる者もいれば、逆に、「もう二度と走りたくない!」と思う者もいるのだろう。(恐らく後者のほうが多いのではないだろうか?)
私を含め、「また走りたい!」と思う者を、単純に“ストイックだから”とか“ドMだから”という言葉では言い表せない。ということが、実際にフルマラソンを完走した今になって分かった気がする。
人それぞれではあるだろうが、私にとってのフルマラソン参加の意義は、
「己の精神(力)と肉体を極限にまで追い込み、それを乗り越えた時にしか味わうことのできないこの独特の達成感や感動、又、悔しさやリベンジ精神というものは、日常生活ではまず体験できないだろう。そもそも人間は、自分に甘い生き物なのだ、とつくづく感じる。厳しくしているようで、実は全然甘いのだ、と気づいた。今の自分を見つめ、そして、過去の自分を凌駕する、つまり、“気づき”、そして、“自分越え”をするのに絶好の機会となるのがフルマラソンである。人生には、時として、こういう体験が必要だ」
である。
まもなく始まる「第2章」。
また1つ高いハードルを設定し、果敢に挑む予定であります。

累計走破距離1,000kmに及んだトレーニングの日々、そして、想像を絶するほどの苦しみを味わった本番を、こうして無事に乗り越えた後に芽生えた今の正直な気持ちは、「また走りたい!」である。
間違いなくフルマラソンを実際に走った者にしか分かり得ない、42.195kmという長い長い道のりの中で繰り広げられる“自分との死闘”。その末には、「また走りたい!」という気持ちになる者もいれば、逆に、「もう二度と走りたくない!」と思う者もいるのだろう。(恐らく後者のほうが多いのではないだろうか?)
私を含め、「また走りたい!」と思う者を、単純に“ストイックだから”とか“ドMだから”という言葉では言い表せない。ということが、実際にフルマラソンを完走した今になって分かった気がする。
人それぞれではあるだろうが、私にとってのフルマラソン参加の意義は、
「己の精神(力)と肉体を極限にまで追い込み、それを乗り越えた時にしか味わうことのできないこの独特の達成感や感動、又、悔しさやリベンジ精神というものは、日常生活ではまず体験できないだろう。そもそも人間は、自分に甘い生き物なのだ、とつくづく感じる。厳しくしているようで、実は全然甘いのだ、と気づいた。今の自分を見つめ、そして、過去の自分を凌駕する、つまり、“気づき”、そして、“自分越え”をするのに絶好の機会となるのがフルマラソンである。人生には、時として、こういう体験が必要だ」
である。
まもなく始まる「第2章」。
また1つ高いハードルを設定し、果敢に挑む予定であります。

